チロ
とある夜、母が言いました。「気になる柴(犬)がいるのよ。新宿のペットショップで見かけちゃったんだけど・・・。 大きさはどれくらいかしら・・・これくらいかしら・・・。 たぶんあれ以上大きくなったら処分されちゃうのよ、あの犬、きっと・・・。椅子に座りながら、身振り手振りを交えて私にその犬の大きさやら、色やらを説明します。「チロにそぉっくりなのよ。ホントに。・・・ダンボールに入れてくれる、ってお店のお兄さんが言ってくれたんだけど、ちょうど夕方だったし無理だと思ってね・・・。」
我が家では7、8年前まで犬を飼っていた。 柴の雑種だったが、鼻が長めで目がクリッとして本当に可愛かった。老衰で死んでから 「動物に先立たれる」 悲しさを身をもって知り、自然、動物は飼わないという雰囲気に家族はなっていました。
「飼いたいのなら、飼えばいいよ。 気になるんでしょ。」母は、うーんと空を見つめながら応えるだけでした。ちょうど翌々日が休みだったので、私のほうから提案しました。「あさって休みだから新宿まで車出すよ。それだったら持ち帰ってこられるんじゃない?」そのときは母は何も言いませんでしたが、母がそこまで思いつめて私の提案に無言ということは、つまり 「おねがい」 ということくらい長年の親子生活で私は理解していました。翌々日には何も予定をいれず、私も久々のペットの到来を待ち遠しく、少し思い始めていたのです。

ペットショップは新宿の繁華街の中にありました。一日に何千人の人が往来するであろう道から少し路地を入ったところにあって、若い女の子達が 「かわいいぃ~♪」 と6つあるゲージを見て回ったりしています。“もうどう見ても 『成犬』 なのよ。とにかくゲージにいっぱいいっぱい。”母が言っていた言葉を思い出しながらゲージをさっと見回しました。すぐにわかりました。 母が 「わかった??」 と楽しそうに私の顔を見るよりずっと前に。 それくらい柴犬は大きく、一緒に入れられている小さなワンちゃんがものすごく迷惑そうに隅で丸くなっています。生後7ヶ月と値札には書いてありました。 でも、鼻のまわりはまだまだ真っ黒で、そう言われて見ると体も少し小さめです。とても体がスマートで、お兄さんがゲージから出してくれると大変嬉しそうにぴょんぴょん飛び回っています。動き方を見たら、なおさら 「あぁ、まだ子どもなんだな」 と思ったものです。とにかく、可愛かったのです。 ぬいぐるみのような子犬の柴ではなかったけれども。

それから1時間後の我が家には、二日前の予想通りチロがいました。着いて早々、まずリビングでうんちをし、畳の上でおしっこをし、怒られると 「おすわり」 をしたまま全身を震わせ首を傾け母を見、自分のえさの入った容器がカタカタいう音に飛び上がり、もうそれはそれは、大変な騒ぎでした。
あれから2ヶ月が経とうとしています。 リードをつけた散歩にも慣れ、いちいち立ち止まらなくなりました。うんち・おしっこは家の外でしなくちゃ怒られることも学んだようです。テニスボールを自分でいじくって遊ぶのが最近はお気に入りとなりました。階段も上手に昇れるようになりました(下ることはまだできません)。しかし、なぜでしょう。 私は嫌われました。 完全に。帰宅して玄関の扉を閉めたら 「わんっ!」リビングのある二階へ上がり始めると 「ヴーーーー」。 「ただいまぁ」 と顔を覗かせたら 「わぉぉぉぉぉーーーーん!!!」。・・・私は何もしていない・・・わたしは何も・・・。尻尾を持って持ち上げたわけでもないし、頭をぶん殴ったわけでもない。なのに、なぜ・・・。 私以外の家族には温厚に接する彼の顔を見ていると、ひどく切なくなります。新宿から運んだのは私なのに。 病院に連れて行ったのも私なのに。 私なのに・・・私なのに・・・。しかしそんな私の寂しさなんてこれっぽちも察することなく、帰って今夜も吠えられるのでしょう。
ちなみに名前はチロ。 前に飼っていた雑種と同じ名前です。先代のチロとまったく違ってショック、な今日この頃なのでした。


