沖縄へ③
沖縄の美しさと涙
あっという間の最終日、前夜那覇市内に泊まった私たちは南部に向かった。母が旅行前から 「ここだけ行ければいいわ」 と言っていたひめゆりの塔へ真っ青な空の下向かった。ひめゆり平和祈念資料館。前回の訪沖時、訪れなかった場所だ。言うまでもなく、戦争の犠牲者 ・ ひめゆり学徒隊を偲んで建てられた資料館。唯一の地上戦の舞台となった沖縄の60年前がたしかにあった。彼女たちが辿った悲劇の運命。 遺留品。原寸大に復元されたガマ(洞窟)に無造作に置かれた二段ベッド・・・。 ガマ前ではひめゆり学徒隊の生き証人である女性がゆっくりと、東京から来た母子に惨状を教えてくれた。こちらから何も言わなくともゆっくりと、想像もつかない悲しい話を教えてくれた。 母はガマの奥を見つめながら泣いていた。私はそんな母の横顔を見て涙を流した。「娘がこんなことになったら」 母はそんな気持ちでガマを見つめていたのかもしれない。

祈念館を出て、車で10分ほどのところにある喜屋武岬へ向かってみた。 そこが沖縄戦の ‘最後の地’ ともちろん知っていて・・・。東シナ海と太平洋を真っ二つに分ける岬はとてもきれいで風が強く、真っ青な空に岬の先が突き刺さっていた。

慰霊碑の近くに小さな東屋があって地元民がやはりゆんたく(おしゃべり)していた。「ひめゆりの塔から来たのだ」 と言うと地元民の男性一人がおもむろに立ち上がり、実際に沖縄の人々が追い詰められ命を落としたという崖を見せてくれた。 私は怖くてそこまでいけなかった。 が、母は高所恐怖症なはずなのに男性に身を支えられながらはるか30メートル下をのぞいていた。震える母の足元には小さな花と、小さな卒塔婆が立っている。 何よりもここに沖縄の現実がある気がした。
旅の終わりに。
2年ぶり3日間の沖縄滞在。 最後に訪れたのが沖縄戦の激戦地となった本島南部だった。母は 「なんだか気持ちが重くなったわ・・・」 と嘆いた。 でも、それがあっての沖縄なのである。1年ほど前の深夜、某局の映像で60年前の沖縄の人々が何の迷いもまく断崖を飛び降りる姿を見たことがあった。 ひとり部屋で見ていて吐き気を催したほどショックだった。そして、実際にその場所に立ってみて思ったことがある。 心地良い風、抜けるように真っ青な空、屈託ない顔で揺れる真っ赤なハイビスカス、門の外を見守るシーサー、どこまでも珊瑚が続くきらきらの海・・・。

60年前も風景はまったく同じだったはずなのに、私はいまこんなに自由な身ですべてを 「きれい」 ということができて幸せだ、と。 空を見上げる余裕もなく、花を愛でる感情もなく沖縄の人々は戦争の中を生きていた。彼らが勝手に突きつけられた悲劇を二度と誰にも味わってほしくない、喜屋武岬で願った。
沖縄で活躍する歌手が唄う歌の中に “人に優しくされたとき 自分の小ささを知りました” というフレーズがあります。 沖縄の人は皆やさしかった。 それは痛みを背負っているからなのだろうか。 そんなことを思いました。少しでもおおきな人間になりたい、そう願いながら母との沖縄旅行を終えたのでした・・・。


