NY訪問
実は私 仲山も、野中さんと入れ違いでNYに行って来ました!
今まで、アフリカ、アジアの秘境を中心にいろいろな旅を経験しましたが、
今回は今までとは、また違った意味で刺激的な旅でした。
2001年9月11日。
電車の中で、私は携帯電話のニュース速報に釘付けになっていました。
「世界貿易センタービルに飛行機が衝突した。」
幼い頃から大好きだったNY。
世界貿易センタービルは、ちょうど数ヶ月前に訪れたばかりでした。
2002年9月11日。
私は、「グラウンド・ゼロ」 と呼ばれる事になった、その場所にいました。
バグパイプの哀しげな音色とともに 「その日」 は始まった。
穏やかな薄明かりと共に迎えた朝。
前の日の夜、眠る事ことが出来ず、「NY1」 という地元の
報道専門チャンネルを見て過ごした私は、一人で地下鉄に
乗っても危険でない明るさであることを確認して、
地下鉄に乗りこみ、ダウンタウンに向かった。
ヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系、インド系・・・。
その場所に着くと、すでに大勢の遺族が列をなしていた。
グラウンド・ゼロの敷地内には基本的には遺族しか立ち入りを許されていない。
彼らはその順番を待っていたのだった。
さまざまな顔の彼らに、共通するもの。 それは、彼らのTシャツ、帽子、バッグ、ジャケットの襟に、誇らしげに飾られた星条旗―。
「すみません」 という気持ちで、カメラを向ける私に、娘の遺影を掲げる遺族。
「私達にはこんなに素晴らしい娘がいたんだ。 それをどうか、伝えてくれ」 と、訴えるかのように。
私は、一般人として近づけるギリギリの所、1ブロック離れたセント・ポール教会の
バルコニー状になった場所を確保し、身を乗り出すようにして、会場を見渡した。
真っ青な空が広がっている。 風が強い。
まだ復旧が進んでいない近くの工事現場から埃が巻き上がる。
一年前の、あの日のように・・・。
気づくと、午前8時、1機目が衝突した8時46分まで、1時間を切っている。
見ると、眼下の通りは1ブロック以上先まで、人で埋め尽くされている。
新聞を眺める人、話をする人、厳しい表情で、無言で前を見詰める人、涙ぐむ人―。
いよいよ、その瞬間がやってきた。
8時46分。
黙祷。
辺り一帯の教会の鐘が鳴り響く。
ゲティスバーグ演説の朗読に続いて、亡くなった方の名前の読み上げが行われた。
2823人。
数字は、いとも簡単に、一言でその事実を表してしまう。
一人の名前の読み上げにかかる時間は、ほんの数秒。
しかし、「一人の人間の存在」 を数秒に縮めてさえ、全ての犠牲者 の名前を読み上げるのに、2時間以上かかった。
9月11日のテロで、
NYが、アメリカが、失ったものは限りなく大きい。
人の命、という面をとってみても・・・。
失った物は取り返しがつきませんが、焼け野原から新しく芽が吹き出してくるように、さまざまな活動を始めている人達がいます。
次回は、その人達の活動をご紹介します。

