沖縄での再会

2006年03月01日

那覇空港で、プロペラ機に向かうバスに乗った。
楽天取材のため久米島へ向かう稲尾和久氏が乗り込んで来た。
30年前、私が25歳でラジオの実況放送にデビューしたときの解説者が 「鉄腕 ・ 稲尾和久」 だった。

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RKB毎日放送のアナウンサーとして、入社3年目の昭和51年にラジオ実況を初体験。
全国的な雨模様で次々と各球場の中止が決定。
ナイターは平和台球場だけ。

私の初めての実況放送は、全国中継となった。

稲尾氏は昭和31年に西鉄に入団。
この年から西鉄ライオンズは日本シリーズで、3年連続して巨人を倒し日本一。
神様仏様と賞賛された稲尾和久の物語は博多っ子の誇りとして語り継がれた。

大投手・稲尾も、入団当初は福岡市西区の別府団地に住んでいた。
当時は、今の様に洒落たマンションなど無かったからだという。
その団地のすぐ近くの賃貸アパートで、私は博多時代の5年間を過ごした。

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キャンプで投げ込む球数について稲尾さんに聞いた。
500球を投げ込む日が3日あったという。 キャンプ中の総投球数は5,000球。
今のエース級の投手は2,000球をキャンプの目標にしている。
ピッチングフォームは頭で覚えられるものではない。 体で覚えなければ・・・。
かつて、シーズン42勝を挙げた稲尾和久は、鉄腕と呼ぶにふさわしい。

沖縄球場で、広島の小早川毅彦コーチと会った。 現役引退後、初めての現場復帰。
コーチ陣がほとんど入れ替わったブラウン新体制の打撃部門を任された。

阪神の二軍監督・木戸克彦氏は、現役引退後、指導者としての道を歩み続けたが、
今季初めてチームを離れ、評論家となった。

かつて法政大学合宿所で、2年の木戸、1年の小早川を一緒に取材した事があった。
小早川は1年春の開幕戦で四番を務めた。
当時28歳だった私にとって、東京六大学野球は輝きに満ち溢れていた。

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ヤクルトが変わった。 浦添球場での行き届いたファンサービス。
打撃練習する選手の名前やプロフィールを、浦添の地域FM局のアナウンサーが場内放送で紹介。
ファンにとって、ヤクルトの選手は更に身近な存在となった。

大リーグから石井一久と高津が復帰。 ラロッカの加入、古田新監督・・・
話題に事欠かない東京ヤクルト。

イチロー以来、史上2人目の200安打を放った若き首位打者・青木宣親は、
3年目の今季、何安打するのか。

プロ野球ファンの夢が膨らむ季節がやってきた。

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日時: 12:17
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