早稲田と関東学院の時代
大学ラグビー選手権では過去に1度だけ5年連続での同一チームによる決勝対決があった。
昭和47年から51年のシーズンまで、決勝戦は早稲田と明治の対戦。
秩父宮ラグビー場が2万人の満員札止めとなった決勝戦の結果は、明治の初優勝。
翌、昭和48年から対抗戦の早明戦と大学選手権の決勝の舞台は、秩父宮から国立競技場に移った。

初の国立での早明戦の観衆は3万人。 年明けの決勝戦の早明対決には4万人。
5年連続の同一対決となった昭和51年度の決勝戦には、初めて6万人の大観衆が詰め掛けた。
この5年間の決勝は早稲田の3勝2敗。 早明の頂上対決が大学ラグビーの人気に火をつけた。その後10年間、同志社大学の3連覇と慶應の復活によって大学ラグビーの人気は更に上昇。この時期に、社会人ラグビーでは新日鉄釜石が7連覇。 ラグビー人気は確固たるものとなった。関東学院大学のラグビー部は、この頃、ようやくリーグ戦の1部に昇格したばかりだった。

1990年、関東学院大学は一部リーグ8年目で初のリーグ優勝、大学選手権初出場。それから8年で初の大学日本一に輝いた。 この年から4年連続で決勝に進出して3度優勝。
関東学院の時代が幕をあけた。
2001年の春、釜利谷グランドを早稲田の新監督 「清宮克幸」 が訪れた。
早稲田ラグビーの再建を託された清宮は 「関東学院大学」 を目標にしてチームの再建に着手。5月に三ツ沢、8月に菅平で関東学院と試合をする約束を取りつけた。 5月は大敗、8月も完敗。しかし、大学選手権では5年振りに決勝進出。 関東学院を5点差まで追い詰めた。その1年後、早稲田は関東学院を破り、13年振りの王座に返り咲いた。

3年計画でのチーム再建を誓った清宮は、2年で大学王座を奪回した。1勝1敗で迎えた3度目の決勝対決。 29年振りの大学選手権連覇で、監督3年間を締め括る筈だった。 が、関東学院はそれを許さなかった。
任期を2年延長した清宮は、4度目の対決に勝って決勝対決は2勝2敗。
いよいよ、監督として最後のシーズンに関東学院との決着をつけるときが来た。
史上2度目の5年連続同一チームによる決勝対決。
関東学院は9年連続決勝進出。 早稲田は5年連続。
決勝戦の前に、清宮は 「今年のチームは早稲田史上最強」 だと豪語した。
最強の早稲田を作った監督は優勝インタビューで言葉を詰まらせ、歓喜に咽んだ。
決勝で関東学院と対戦出来た喜びを誇らしげに語った。
尊敬するライバルを倒してこそ、真の王者だといわんばかりに・・・。

国立競技場の通路で記者会見場に向かう清宮監督に声をかけた。
『ほんとうに早稲田史上最強でしたね!』
清宮監督は微笑んだ。
記者会見の冒頭で、私からの一言を引用し
『チームを一番良く知っている私は常々、早稲田史上最強だと言ってきた』 と切り出した。
関東学院に完勝した試合内容がそれを見事に証明していた。
今年の早稲田は強すぎる。
清宮監督が率いた5年間の早稲田は、関東学院に2敗した以外に負けは無い。
春口対清宮の5年間は、大学ラグビーの歴史に残る名勝負として、語り継がれることだろう。


