菅平紀行(二)・名門相模台工業

2003年09月01日

高校ラガーマンにとっての憧れ 「全国高校ラグビー大会」 は、
大正7年に始まって、82回の歴史を重ねた。
戦後の大会、昭和史を見ると幾多の強豪が覇を競ってきた。
連覇を経験した高校は、わずかに2校。 3連覇の 「秋田工」 と2連覇の 「目黒」・・・・・・
昭和40年代に神奈川の強豪となった 「相模台工」 にとって全国の壁は厚く、道は険しかった。

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昭和59年度と62年度、「相模台工」 は花園の決勝で2度涙を呑んだ。
両年とも、優勢を伝えられながら、「秋田工」 に敗れた。
15年間も優勝から遠ざかっていた 「秋田工」 だが、全国制覇13回の歴史に、ジャージーは輝きを放って見えた。 2度の決勝対決は、同じスコア 「4-9」 わずか 「5点」 だが、
伝統という大きな差は埋めようもなかった。
しかし、2度の準優勝で 「相模台工」 の名は全国に轟いた。
戦いを終え、準優勝旗と共に学校に戻った松澤監督の
第一声は、今でも忘れない。

『ラグビー部員全員、無事戻って参りました!』・・・・・・ 心にしみる言葉だった。

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それから6年後、平成5年度に 「相模台工」 は高校日本一に輝いた。 「松澤友久」 監督の、半生を賭けた熱血指導が、ついに大輪の花を咲かせた。
 翌年、松澤先生は総監督として、更に強いチーム作りを見守った。
ほとばしる情熱が、高校生達を奇跡の戦士に変えた。 指導者としての、愛と執念と気配りに、私でさえ、目頭が熱くなることがあった。
 「秋田工」 「目黒」 に次いで、神奈川の 「相模台工」 は、戦後3校目の連覇を達成したのである。
黒のジャージーは全国の強豪となった。 「2年連続・花園優勝」 は、栄光の記録である。

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翌年、46年振りの大会3連覇に挑み、順調に準決勝に進出した。
ところが、思わぬ苦戦を強いられた。
2m近い長身ロック 「平塚純司」 にラインアウトを阻まれたのだ。
準決勝敗退。 3連覇の夢を打ち砕いたのは、これも運命なのか、あの 「秋田工」 だった。
全国高校ラグビー大会は、平成14年度 「啓光学園」 が優勝。
「相模台工」 に次いで、戦後4校目の連覇を達成した。
栄光の歴史を刻んだ 「相模台工」 の後輩達は、今、新たな夢に向かって練習に励んでいる。

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 「相模台工業高校」 は、地元のラグビーファンの間では 「台工」 と呼ばれているが、
全国のラグビーファンは、花園2連覇を達成した 『相模台』 として、記憶にとどめている。
その 『相模台』 の名が、県立高校の合併のために消えてしまう可能性があると聞いた。
高校ラグビー界の名門 『相模台』 の文字を、新しい校名に残して欲しい。
栄光の歴史に、復活の一頁を書き加えるためにも・・・・・・。
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