ちょっと一言 Vol.3

2003年01月31日

天皇杯サッカー決勝。 高校サッカー選手権、大学ラグビー選手権の準決勝と決勝。
東京、国立競技場の正月は熱気に包まれる。
サッカーとラグビーに関わる者にとって、年の初めを国立競技場で
向かえることは大きな目標だ。

我々スポーツアナウンサーにとっても、新年の国立での仕事は心地よい緊張感がある。

敗北してシーズンを終えたチームは年末年始をグラウンドで過ごせない。
限られた勝者だけに許される正月の試合は、日本一を目指した熾烈な戦いだ。

0000.JPG

6年連続で決勝に進出した春口監督を支える 「秋山 玲」 コーチも元気に始動した。

秋山氏は、関東学院が全国大会に登場し始めた頃の選手だ。
レギュラーの座を目前にして、首の故障。
試合に出られない自分がチームに貢献出来ることは何かと考え、
学生時代にすでにトレーナーの勉強を始めた。

大学の職員になってから、自らの努力でプロの業者から芝の管理方法を学び、
寸暇を惜しんで大型免許も取得した。

釜利谷グラウンドはラグビー場の広さ2倍半の広大な天然芝。
秋山氏が芝の育成管理を任されている。 選手の健康管理。 練習と試合の前のテーピング。
強豪校は専属トレーナーと契約する時代になったが、
彼は8年前からトレーナー役を務めている。
路線バスよりも大きな、空港リムジンのようなバスを運転して競技場に乗り込む。
1人で何役もこなす仕事振りは今年も健在だ。

30歳を過ぎた今でも、学生と間違えられる端正な顔立ち。
出身校は相模台工業。 花園2連覇の、あの松澤友久監督に鍛えられた。
春口監督のもと、秋山コーチのハートは今年も熱い。

0001.JPG

1月2日、帝京大学ラグビー部にとっては初めての国立競技場だった。
昭和49年に新興の帝京大を任された増村昭策氏は、水上監督を擁して、
昭和58年に早大、翌59年に明大を破って赤い旋風を巻き起こした。

しかし、その後は低迷。 部長と監督を歴任した増村氏にとって、
念願だった慶應と東大との試合が実現したのは、
対抗戦が1部と2部に分かれた5年前。

平成9年の秋だった。 実力で勝ち取った対抗戦1部だった。
帝京大学にとっては夢の国立。
チーム育ての親である増村氏の30年間の苦労が偲ばれた。
同志社と慶應を破り勢いに乗る帝京。 準決勝の相手は関東学院。
岩出監督はフォワードに自信を持って臨んだ。
前5人は互角。第三列のスピードでは負けない。 勝算有り――。

0002.JPG

関東学院は帝京戦を前に、フォワードを更に鍛えた。
春口監督は試合前、「何かあるとすれば準決勝だと思っている」 と本音を漏らした。
厳しい戦いを覚悟した。 ―― 敢えて敵の術中に勝負を委ねた。

フォワード戦を挑んだ関東学院に、勝利の女神は微笑んだ。
大舞台での経験の差は予想以上に大きかった。
敗れた帝京。 国立の大観衆の前でプレーする喜びを知ったことは大きな財産だ。
選ばれた者だけが享受出来る至福の時。
力の限り戦った記憶を後輩達が受け継ぎ、やがてそれが伝統となる。

正月、国立競技場で全国の頂点を目指した熱戦が繰り広げられた。
高校サッカーと大学ラグビー。
マイクの前で、感激をいかに描写するかが、
我々アナウンサーの生きがいだ。
何年やっても身が引き締まる。

新年の大舞台での経験は将来への糧となるに違いない。

日時: 12:30
2008年01月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31