アナウンサーズマガジン

画面では決して見ることの出来ないアナの表情が満載!番組への意気込みや裏話も アナ本人の文章で紹介。

ナイター実況 ゴールイン!

6月3日、ロッテのベンチには58歳になった立花義家・打撃コーチがいた。
私がRKB毎日放送の時代に、ドラフト1位で柳川商業からライオンズに入団。
当時18歳の新人・立花義家が、40年の月日を経て、私の目の前にいる。
私はあのとき、25歳だった。

横浜の空は青く、空気は澄んでいた。初夏の日差しが降りそそぐ。
イントロ事前収録のためベンチ前に移動すると、スタンドに目を奪われた。

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嬉しかった。
ファンに支えられて、走り続けてきた42年間。
サラリーマンとしての評価よりも、視聴者からの評価を大切に生きてきた。

ベイスターズの練習が終わるころ、選手会長の山口俊投手がベンチに現れ、
選手や監督のサインを寄書きにしたユニフォームを私にプレゼントしてくれた。
まさにサプライズ!
いよいよ、今日で終わりなのか ・・・ と、感極まった。


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このユニフォームは大きな額に入れて、自宅の書斎に飾った。
「ラミちゃん」のサインもある。
ラミレスがヤクルトに入団した年の沖縄キャンプで、若松監督が私に言った。
「まさか、こんな凄い選手を、本当に獲得できるなんて思わなかったよ」

最後の実況は、昔話が多くなってしまった。
西鉄のエース稲尾和久氏とのコンビでスタートを切ったプロ野球実況。
道中、多くの野球人と巡り合い、野球を学び、人生を学んだ。

難波球場で初めて挨拶したとき、四番で監督の野村克也氏の言葉が今でも耳に残る。
「こうしてユニフォームを着ているから南海の野村なんや! 脱いだら、ただのオッサンやで!」
彼はユニフォームを脱いでも、ただのオッサンでは終わらなかった。

そして、横浜大洋のエース遠藤一彦氏とのコンビで、実況中継のゴールイン!
アナウンサーとしての仕事は、すべて終わった。

番組スタッフからの花束は、遠藤一彦氏がプレゼンターを務めてくれた。

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「ベイスターズはどうしたら強くなるのか 遠藤一彦さんとのはしご酒が懐かしい」

小林亮子さんは、いつも試合前に食堂でスタッフと入念な打合せをしている。
その横で、私は早めに一人で夕食を済ませることが多かった。

青木慎哉さんは、プロ野球の球団がメディアに提供するデータリリースに、革命を起こした。
新聞記者やアナウンサーやディレクターが、先を争って青木ペーパーを手にして、情報を集める。

楠本淳部長は、時代を先取りする広報戦略で、DeNAのファンにプロ野球の魅力を発信する。
横浜DeNAベイスターズ 広報・PR部の皆さんからの花束に、胸にこみ上げるものがあった。

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42年と3か月のアナウンサー人生に、ついに幕が降りた。

これからは、プロ野球の資料を、2時間掛けて整理する仕事はなくなる。
実況アナウンサーの宿命である毎日のデータ整理も、無くなれば淋しい。

会社の理解を頂いて始めた神奈川大学の授業は、今年で8年目。
毎週、月曜日だけアナウンサー業務はお休みだった。
前期が「メディアと社会」、「実践メディア論Ⅰ」 履修者は252名と242名。
後期が「メディアと社会」、「実践メディア論Ⅱ」、「メディアトレーニング」

大学時代、授業中の多くを、睡眠時間に充てていた私が、
今は、学生が居眠りしない授業を目指している。

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「神奈川大学の授業風景 ・ 課題に取り組む学生たち」